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#68 専門職は井の中の蛙か?

「専門職は井の中の蛙だ」「同じところで働いていると井の中の蛙になる」といった話があります。多くの場合はポジティブな意味ではないようです。

「井の中の蛙大海を知らず」ということわざの本来の意味はありますが、あえて言葉遊びをしてみれば、井の中の蛙が大海を知ることの意味は何でしょう。

そもそも淡水と海水やんけという話は置いといて、「あんな広い世界があるのか、なんて狭い世界で生きているのだろう…」と落ち込むだけなら、大海の存在を知らなかった方が良いかも知れません。

専門職を例に考えると、「専門」という言葉からして、専門外はわからない、専門外は興味がない、そういった連想をすることもあるとは思います。

しかしながら、専門職だからといってそうとは限りませんし、専門職じゃなければ「井の中の蛙」ではないとも限りません。具体的なケースを想定しなければ、幻想を用いて批判することになり、それはナンセンスな気もします。

井の中、大海、それは何を指すのかというのは、ケースによって違うと思います。専門職の専門性、職場、色々あると思います。

私自身の話だと、専門性が井の中であるとして、その専門領域のことを知っているかと言えば、知らないことはたくさんありますし、病院が井の中であるとして、では病院を知っているのかと言えば、知らないことがたくさんあります。むしろ殆ど知らないと言った方が適切です。

井の中にいるとしても、地元で立ち寄ったことのない店に入って、「知らない世界があった」みたいなこともあるでしょうし。大海を知ると言っても、海外旅行に行って、「世界を見てきた」みたいなこともあると思います。

スタンプラリーみたいに、行ったことがあるところにスタンプを押して、制覇したといった単純な話ではないわけですし、色々なところに行った、色々な職場で働いた、だから「大海を知っている」とは言えないと思います。

ただ、今まで認識していなかったことを認識する、知らなかったことを知る、そういったことによって、例え職場は変わらずとも振る舞いは変わる、より良いを目指すといったことはあるはずです。

井の中にいることが悪いわけではありませんし、そもそも同時に色々な場所に存在して色々なことをすることは出来ないので、そういう意味では誰しも井の中にいる、井の中から出て、別の井の中に行く、そういう観方もあると思います。

井の中を知っているから大海と比較が出来る、大海を知っているから井の中のポジティブな面やそうでない面を認識する、そういう側面があるはずです。大海を知る蛙が井の中で生きる、言葉遊びですがそういうこともあるでしょう。

「知っているものやことが全てではない」という認識であれば、「井の中の蛙」というただの例え話に自ら収まることもないでしょうし、そういった煽り文句に思考停止することもないかも知れません。

結局は自分の置かれた立場で出来ることをする、もっとよりベターがあるかも知れないという認識をする、そういったことが大事だと考えています。そうすれば思考停止せず、排他的にならず、井の外に目を向けることが自然に出来る気がします。

そもそも、特定の専門性を高めるための取り組みを継続出来ること自体が、専門職として重要であるという側面がありますし、その取り組みの中で深く掘り下げるだけでなく、広げていく(広がっていく)という側面もあるはずです。

環境を変えること、職業を変えることを否定しているわけではありません。ただ、井の中を知らずに、隣の芝生は青く見えている、そういったこともあるように思います。

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