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#66 個人の名声と他者の役に立つこと

例えば、「○○協会」というものがあって、その中で何かしらのミッションを掲げているとしましょう。「運動に関する正しい知識と技術を有した専門職を養成し、その専門性を通じて国民の健康増進に寄与します」とか。例えばの話。

そこで、教育制度や資格制度が導入され、会員もそこそこ集まり、少しずつ協会や専門職の認知度も上がってきます。少しずつ影響力を持つようになると、有資格者が職につきやすくなるなど、会員・有資格者が恩恵を受けるケースもあると思います。

そんな中、あるエクササイズの方法について、理事の意見が分かれるといった自体が起こるとしましょう。そこで抽象度を上げて何かしらの折り合いをつければ良いのですが、「このエクササイズはこうするものだ!」という対立が続きます。

そして、「考え方が違うから、別団体を発足する!」ということで、掲げるミッションは同じであるにも関わらず、あるエクササイズの方法に対する意見が違うことで2つの団体に分かれます。

最初の協会の会員からすれば、「今までの協会に残る」「今までの協会を退会して新しい協会に入る」「どちらも入っておく」「どちらも退会する」といういくつかの選択をすることになります。

いずれは既存会員以外の新規入会者が出てくるでしょうけど、どちらの協会も、最初の協会の会員数を下回ることになります。そうすると最初の協会は会費収入が減り、協会の影響力も減るかも知れません。もちろん数だけの話ではないですが。

「運動に関する正しい知識と技術を有した専門職を養成し、その専門性を通じて国民の健康増進に寄与します」というミッションから考えると、「正しい知識と技術」の相違によって協会が分裂したことになります。

しかし国民からしてみれば、○○協会の考える「正しい知識と技術」の中身云々よりも、「健康増進に寄与」してくれることが重要でしょうし、本当に「健康増進に寄与」するのであれば、それはその人にとっては「正しい知識と技術」だという見方もあります。

原理原則はあれど、応用の利かない形骸化した知識や技術では、「健康増進に寄与」することは難しいでしょうから、「あるエクササイズの方法」という抽象度の低い階層で対立して分裂し、協会の影響力が下がり、「国民の健康増進に寄与」する機会が減るとなると、何のための協会かということになります。

考え方全てが同意なんてことは、ほぼないと言えるでしょうから、「あるエクササイズの方法」といった、5W1Hの違いによってよりベターも変わるようなもので、いちいち対立していたらきりがありません。

それよりも原理原則といった抽象度の高い部分を共有する方が、多様性を受け入れやすいでしょうし、実際の指導においても柔軟な対応が出来ると思います。

そもそもの目的を共有すること、その目的は自分自身だけのためではなく、やはり他者の役に立つということが含まれていることが大事かなと思います。個人の名声を得ることが第一の目的になれば、例えお山の大将であろうと、そういう場を創ることが優先されるかも知れません。

そのような小さな集まりがたくさん作られて、それぞれのグループに留まっているだけでは、少なくとも職能団体としては能力も影響力も低いままかも知れません。

多種多様なグループが創られること自体に良いも悪いないですが、そこに留まらず、職能団体としては(主に)専門性を通じて対象者の役に立つという共通認識を持って、抽象度の低い対立をすることなく、建設的な議論が出来る能力と態度が必要だと考えています。

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