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#60 崇拝と尊敬について

スポーツにしろ仕事にしろ、憧れの人、目標となる人、参考になる人がいるというのは、よくある話だと思います。野球だとバッティングフォームやピッチングフォームを真似たりするのも、その選手への憧れ、その選手を目標にする、その選手を参考にするといった動機からだと言えます。

スポーツのパフォーマンスに限らず、練習、トレーニング、生活習慣、思考、嗜好など、色々なものを知りたい、参考にしたいと思う人もいると思います。その選手に近づけるのであれば、色々なことを参考にしたいと思うのは自然なことかも知れません。

しかし当然のことながら、全て同じように取り組むことは不可能ですし、仮に出来たとしても同じようなパフォーマンスを発揮出来るかと言えば、その選手とは違うわけですから難しいはずです。

目標が憧れの選手になることなのか、一流の選手になるのかでは話が違ってきますから、自身の才能を含めた特徴を如何にして活かすかというところが、重要になると思います。実際には、自分と似たようなタイプの選手を参考にするということはあるでしょうけど、似たようなタイプであって同じではありません。

目標が憧れの選手になることなのであれば、その選手の思考を含めた一挙手一投足を無条件に受け入れ、全て模倣するように取り組むことになると思いますが、目標が一流の選手になることであれば、自分にとって有益なもの、適切なものかどうか取捨選択する作業が必要になります。

前者はいわゆる崇拝しているという状態と言えるかも知れません。「○○選手がこう言ってたから正しいんだ」というような思考だと、例えば、「筋トレは有害だ」という発言があったとすれば、「筋トレをしてはダメだ」となるでしょうね。

崇拝ではなく、尊敬する選手(参考にしている選手)であれば、無条件に受け入れることはないかも知れません。「筋トレは有害だと言うけど、調べてみるとそうとは言えないのでは?」「○○選手が言わんとすることは何だろう?」といった、能動的な思考や取り組みが生まれる余地があります。

崇拝だとハマれば良いでしょうけど、自分にとって適応ではない、適切ではないことも受け入れることになりますから、信じこむ力がどれくらい作用するかはわかりませんが、運の要素がかなり強いように思います。

「まずは完全に真似をすることから始める」ということも有効なケースもあると思いますが、ゆくゆくは自ら考えて判断すること(他者の考えなどに触れながらも)が必要になってくると思います。

「好きなように生きれば良い」と言えばそうなのですが、私の職業である理学療法士の仕事で考えると、「○○先生が仰ってたから」という根拠の下、適応でない、適切でないことを対象者に延々とやるということになりかねません。

それで上手くいかないと、「対象者がちゃんと取り組まないからだ」といった責任転嫁と言いますか、仕事の責任の放棄が始まるかも知れません。もしくは、「上手くいかない…◯◯先生は嘘を言ってるのか」と、勝手に崇拝する○○先生の責任にして、反動で嫌悪の対象にするかも知れません。

魚住廣信先生の「上手くいかないのは、上手くいかないようにしているからです」という言葉を借りれば、上手くいかないようにしているのは自分自身であると考えないと、進歩がないように思います。

その他参考記事

【(リ)コンディショニングメモ】

#13 「結果は正しい」by 魚住廣信先生

対象者にとっては担当のセラピストですから、○○先生がどうのこうのは関係なく、「いや、あなたがちゃんと仕事をして下さい」という話だと思います。崇拝する○○先生ではなく、あくまで主語は自分自身であることを自覚する必要があると思います。

これは何も、材料なく自分流を貫くという意味ではなく、色々な考え方や知識や技術を参考にしながら、臨床での具体的なケースに対峙することが重要だと考えています。時に色々な人に相談することも必要だと思います。

個人的には尊敬する人はたくさんいますが、崇拝する人はいないかなという感覚です。崇拝か尊敬かという言葉については、便宜的に用いたまでですが。

完全無欠の人間はいないと言えますから(欠点も含めて完璧という観点もあるでしょうけど)、崇拝して絶対的に正しいと思考停止するよりも、色々な人の尊敬できる部分、参考になる部分に目を向けることの方が面白いと「個人的には」考えています。

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