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#57 セミナー参加者を教え子と呼ぶ人の話

タイトルそのままですけど、そういう人が時々いますね。セミナーに参加した程度で教え子と呼ばれるのは個人的には不快ですが、講師を尊敬していて自らを「教え子」と言う人もいるので、人それぞれなんでしょうけど。

例えば、理学療法士の養成校の先生が、教え子というのはまだわからなくもないですが、理学療法士として働いていて、何か学びたいテーマがあってセミナーに参加した程度で、講師がそのように呼ぶのは違和感があります。

「ある領域の」「あるアプローチの」「ある考え方の」…といったように、理学療法の中のごく一部であるにも関わらず、「私の教え子だ」「あいつは俺が教えた」という態度は、ちょっときついですね。

セミナーという空間では、立場としては「講師」と「参加者」ですが、同じ理学療法士であった場合は、いち理学療法士同士に過ぎないわけです。参加者とすれば、「学びたい何か」があるから参加するわけで、上下関係ではないはずです。

自己愛が強い人と、依存性が強い人なら、成り立つ関係なのかも知れませんが、何かを学ぶという動機は、臨床に役立てたいといったものであって、「師匠~!」「先生~!」みたいなテンションで参加している人は、まあそう多くはないと思います。

「これについては○○さんが詳しい」というのと、「あの人はトップの理学療法士だから」では、全然違うわけです。ちなみに個人的には「トップってなんやねん」と思っています。何を基準にトップというのか全然わかりません。

領域を限定して「俺はトップだ」というのはあるかも知れません。オリジナルなアプローチを開発したとすれば、そのアプローチに一番詳しいのはその人でしょう。しかしそういうニュアンスでないのなら、全国の様々な対象者を誰よりも良く出来るということですね。

そう思えるということは、本当の天才か、勘違いかのどちらかだと思います。どうしようもなかったことがないのか、「俺でダメならみんなダメだろう」と考えるのかわかりませんけど。

個人的には、色々な人の考え方に触れたり、議論することによって、気づかされたり、何かを思いついたり、課題が見つかったりするものだと思っています。それは経験年数や年齢などは関係ないですし、学生でも職業が違っても関係なくそう感じます。

セミナーに参加した程度で教え子と呼ぶ人は、参加した時点で上下関係を作っているのかわかりません。その教え子と呼ばれた人達が、様々なところで学んで試行錯誤して、実力をつけていくことすら自身の手柄のように思っているとすれば、幸せな勘違いですね。

ちなみにこの記事は、誰か特定の人を指しているわけではなく、元記事は理学療法士になる前に既に書いた内容に近いです。ただ、このような人は職業が変わってもいるものだなという感想です。

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