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#47 「ピアサポート」の話ではなくなりました。

病院で勤務していると、何かしらの疾患や障害を持った方達と接することが日常的にあります。先天的なものから後天的なものがあり、後天的なものに関しては(いわゆる)健常者とされる人でも、そうではなくなる可能性は十分にあります。というよりも、最期まで何もない人はいないと言えます。

当たり前のように学校に行ったり、家事をしたり、仕事をしたりと生活を送っていた人が、発症や受傷によって、その生活を維持することが困難となるケースがあります。

例えば、事故で脊髄損傷となり、立つことも歩くことも出来ない状態となった場合、精神的なダメージが大きいことは、想像に難くないかも知れません。もちろん「わかる」わけではありませんが。

病院のリハビリ室では、そういった方達がたくさん集まります。「ああ、あの人、僕と同じですね」「あんなに小さいのに頑張ってるな」、そういった言葉は患者さんの口からよく聞かれます。

同じような障害を持った方達がお互い気にかけることがよくあり、院内でもそのようなコミュニティが自然と出来ていくこともあります。もちろん仲介役が必要なケースもありますが、それは必ずしも医療者ではありません。

障害者スポーツに長年携わっている上司に話を聞いた時に、「障害者スポーツを通じて、先輩と関わることは大きいわな。」という話がありました。情報共有や相談といったことも、もちろんありますし、見本となる人がいるというのは大きいのだと思います。

実際、病院内でもそのような関係性(一方的なものでは決してありません)が築かれてきて、お互いに励まし合いながら、入院生活を送っておられます。

24時間テレビなどで、いわゆる「障害者」とされる方々を取り上げることについて、様々な議論があります。個人的には単純に「良い」「悪い」と白黒つけられるものでもないかなと考えています。

同じような境遇や障害を持っている人がいる、そういったことが励みになる人もいるわけです。パラリンピックもそういったきっかけになることもあります。パラリンピックは肯定的に語られることも多いように感じますが、「あの人達は特別だ」と感じる人もいます。

全員にとって「ポジティブな影響」を与えるものがあれば素晴らしいですが、現実的にはなかなかそういうわけにもいかないように思います。

多様性があることを受け入れて、「励まされる人もいる」ということが、色々あれば良いように思います。同じものでも受け手によって、ポジティブにもなればネガティブにもなります。「ネガティブに受け取る人もいる」ことは想像する必要はあっても、「だから止めるべき」とは簡単に言えない問題です。

もちろん、配慮すべきことは何かということについて、何度も考えて様々な意見を参考にする必要はあるとは思います。

芸能人などの有名人の闘病を取り上げることについても賛否両論があったりしますが、それに励まされる人もいるわけです。「売名行為」だとか批判する人もいますが、それが果たしてそうかどうかの前に、「だからどうした?」という的外れなものも見受けられます。

一つの万能な手段があれば、その手段を用いるでしょう。しかし、それが何かがわからない限りは、「それぞれが出来ることをする」しかないわけです。これは理学療法も同じで、「何でも良くなるものがあれば、みんなそれをする」という話です。今のところなかなか見つからないから、みんな試行錯誤して取り組んでいるんです。

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