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#42 左右差の話①

理学療法士が臨床で「左右差」を強く認識するケースのひとつとして、いわゆる片麻痺があります。可能な限り「左右差」を減らしていくこと、つまり対称性を求めることはよくある話だと思います。

それは「左右対称が良い」という標語的なものではなく、例えば歩行で言えばより実用性の高い歩行を求めるのであれば、歩行対称性というのは重要な要素のひとつとなります。もちろん、どれくらい改善が見込めるかということは、それぞれのケースによる(重症度だけなく)と言えます。

例え非対称性が著明で大きな改善が見込めないケース、歩行の再建が困難といったケースであっても、その中でより実用性の高い能力を獲得するためにはどうするか、そういったことを考える必要があるケースもあると思います。

左右差と言っても、見た目の対称性、関節のアライメント、筋力の左右差、関節可動域の左右差、感覚の左右差、巧緻性の左右差…など、色々な左右差があると思います。それらは相互に関係していることもあります。「内臓は左右対称じゃない」「脳の機能は左右対称じゃない」といった視点もあると思います。

「左右対称が良い」という前提で話をする人もいるでしょうし、「左右は非対称なものだ」という前提で話をする人もいると思います。しかしながら先ほど触れたように、「何の左右対称性の話か?」という部分が不明確だと、話の展開が困難になります。

そして、その左右差は時間経過とともにより大きくなっているのか、変わっていないのか、小さくなっているのかということ。どれくらいの左右差があれば、その人にとってどのような望ましくないことが起こり得るのか、もしくは左右差がどれくらい小さくなれば、どのようなメリットがあるのか、そういったことを示すことが出来ないまま、「左右対称が良い」「左右は非対称なものだから気にする必要はない」といったことは言えないと思います。

また、それはどの程度左右対称に近づけられる可能性があるのか、それにどれくらいの労力と時間がかかるのか、そういったことも含め、方針の決定と方法の選択(特に今までと変えないというのも選択肢に入ります)をすることになると思います。

左右差の話で言えば、利き手の話もありますね。利き手の定義は色々あるかも知れませんが、例えばEdinburgh利き手テストを参考にすると、文字を書くとかボールを投げるといった、一般的に利き手とされる項目が並んでいます。

日本人だと箸を使用する機会も多いですが、右手で箸を使用し、茶碗は左手で持つ人は右利きというのが一般的です(使用する道具によって左右使い分ける人もいますが)。例えばこの人が右手で茶碗、左手で箸を使用すると、箸の操作だけでなく茶碗を添えることにも違和感や動かし辛さを感じるかも知れません。そう考えると、利き手とそうでない手というように、単純に分けられるものでもないと言えるかも知れません。

左右差の話に限らずですが、「左右対象が良いのだから、それを目指すべきだ」といった、個別性を考慮しない手段の目的化は、労力と時間の浪費、時に望ましくない変化をもたらす可能性も考えられます。

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