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#37 選択肢は多いに越したことはない

同じ人間を対象としていても、専門家によって見方が違ってくることも多いと思います。もちろんオーバーラップする部分はあると思いますが、フィジカルの部分をよく学んでいる人はフィジカル、メンタルの部分をよく学んでいる人は、メンタルといったように。

理学療法士はPhysical Therapistだとすると、メンタルの部分は含まれていないと捉えることも出来ますが、対象者のメンタルを無視した臨床はあり得ないと考えているので、それは現実的ではないと思います。

ですが、例えば運動学的に考えることが得意であったりすると、その視点で詳しく分析し適切な対応が出来るかも知れません。反対にその視点に囚われることで他の要因に気づかないかも知れません。

これは様々な徒手療法であったり、○○法、○○トレーニング、○○アプローチなどといったものも、同じことが起こり得ると思います。もちろんこれらは、何を学んでいるかというよりも、扱う人に依存する部分が大きいと思います。

関節に対するアプローチに熱心であっても、関節の問題でなければそのアプローチは適切ではないですね。それを、「技術不足だ」と考えるのは方向性が違ってきます。これは筋であっても同じことだと言えます。

理学療法士1年目の時に、とある講習会である先生が「筋、関節、皮膚などそれぞれに対するアプローチは最低1つは持っておく必要がある」と仰っていました。確かにアプローチを学ぶということは、評価も含まれているはずなので、impairmentを同定していく為にも必要だと思います。

日本の養成校では徒手療法を学ぶ学校が少ないようで、学ぶのであれば卒後ということになることが多いようです。ちなみに私もそうですが。徒手療法を「漫然とモミモミしている」と揶揄する人もいますが、評価なしに技術なしに、子供の親孝行マッサージレベルであれば、そうかも知れませんし、明確な理由なしに徒手療法に終始しているなら、それは批判の対象になってもおかしくないですね。

何かを批判する時に、「○○だけではダメ」といった論法を見かけますが、「○○だけで十分だ」と考えている人はそう多くないように感じます。選択肢のひとつであって、適切に用いれば問題ないはずです。ひとつの選択肢(手段)で何でも解決することはありません。

『他の可能性に無知であるために、ある方法を採用せざるを得ない場合は、それはこうした「選択」の結果であるとは言えない』

個人的には非常に納得した一文です。適切でよりベターな選択をする為には、多くの選択肢を知る(出来る)必要があります。選択にはコストがかかりますが、専門家はそのコストを請け負う立場であると思います。

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