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#36 例えば「ピラティス」。

前職でフィットネスプログラムの開発に携わっていた頃、その中にピラティスのプログラムがありました。それまでは、正直なところ、「ん〜ピラティスな〜」とあまり気は進みませんでした。

しかしながら、外部講師の研修を受けたり、ピラティスを熱心に勉強している同僚の研修に立ち会ったりする中で、「なるほどな〜」と思うことも多々ありました。

言葉の選択にしても参考になることはありましたし、「ピラティス=流行りのエクササイズ」というイメージとはまた違う印象を受けたのを覚えています。

そもそも元々は、コントロロジーだと考えると、単にエクササイズの型というわけではないとも言えると思います。ですから、結局のところ身体に関することにおいては基礎は共通している部分も多いと言えます。

言葉の選択にしても、神経科学の知見から考えられる部分もあります。例えばオノマトペにしても適切に用いることが出来れば、適切な動きに導くことも出来ると思います。

ちゃんと勉強している人であれば、ピラティスで何でも解決するとは考えないでしょうし、ピラティスで出来ることの可能性を探るという作業も怠ってはいないと思います。これはピラティスに限らずの話だと考えています。

ピラティスと謳いながらも、様々な配慮や工夫をしている人もいます。これもピラティスに限らずの話です。

前回の記事でも書いたように、知識と技術と考え方が重要であり、経験を積むことによって知恵も生まれてくると思います。

例えば私のように病院の理学療法士として働いているケースだと、用いる手段をわざわざ限定する必要はありませんし、そうすべきでもないと思います。また、例えばピラティスのインストラクターといった立場であれば、ピラティスを追求することは自然なことだと思います。

私のような立場だと、そういった人からヒントを得て、現場で活かす工夫を施せば良いわけで、そのままをやっても上手くいかないことも多いと思います。

あくまで今回はピラティスを例にしただけですが、他の手段でも同じことだと考えています。どのように工夫していくかという部分が重要で、インストラクターになるわけでなければ、ひとつの手段を追求する必要はないと思います(追求することが良くないという意味ではありません)。

何かを学んで「あれは使えない」などと言う人が時々いますが、「その人が使えていない」だけかも知れません。やり方だけを真似しても上手くいくことはそうないでしょうし、そもそも学んだものの特徴をちゃんと理解しているかどうかということもあると思います。

例えとして「ピラティス」で話を進めていきましたが、そのように考えているので、具体的なケースを想定せずに、手段を比べて優劣をつけるといった作業は、個人的にはナンセンスな気がしています。

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