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#35 万能な手段はあるに越したことはない

「○○法」「○○トレーニング」「○○メソッド」…色々な手段が存在します。それぞれに特徴があって、明らかに根拠も再現性もないといった場合を除けば、どれが良い悪いということはないと考えています。

体幹トレーニングであれ、ファンクショナルトレーニングであれ、同じことだと思っています。そもそも、それらの定義などが共通認識としてあるのかという部分は疑問もありますが。

例えば体幹トレーニングで言えば、「体幹とは?」「強い・弱いとは?」「使えている・使えていないとは?」など、そういう部分も曖昧なことが多いので、噛み合わないのではと感じることもあります。

「ベーシックなトレーニングをしていれば体幹も鍛えられるから、体幹トレーニングは必要ない」という考え方もあると思いますし、「体幹の筋力が不十分だと、それが足を引っ張ってベーシックなトレーニングで扱う重量が不十分となるから、個別でも並行して鍛えた方が良い」という考え方もあると思います。

後者の考え方はある意味、「スポーツの練習だけで筋力・パワーの向上を図るのは効率が良くないので、レジスタンストレーニングを行った方が良い」という考え方と共通した部分もあるかも知れませんし、ないかも知れません。

まあ個人的に時々感じることは、アスリートの身体能力の高さを把握していないから(アスリートに限らず患者さんでもそうですが)、トレーニングの原則から外れた明らかに不十分な刺激で満足している人も中にはいるように思います。「不慣れだから上手く出来ないこと」を、「筋力が弱い」と判断するとか…。

S&Cコーチの方が、「チマチマしたトレーニングなんて時間の無駄だ」と仰るのは、「アスリートの身体能力を甘くみている」「求められるパフォーマンスレベルの高さを理解していない」といった部分があるのかも知れません。

個別の評価なしに、「体幹は大事だから体幹トレーニングを」といった思考だと、そんなこと言ってたら何でも大事なので、闇雲に細かく分けてそれぞれにアプローチしていては、やること多すぎて効率悪いし、効果も期待出来ないと思います。

個別性の原則と言ってしまえばそれまでですが、ちゃんと評価することが不可欠です。理学療法でも同じだと感じます。簡単ではないですが、「手段ありき」の理学療法にならないように気をつけなくてはと思います。

新たに得た知識や技術に当てはめる、使いたがるといったことは、誰しもあるかも知れません。少なくとも私はあります。それで上手くいくことがあっても、偶然かも知れないと考えておかないと、ただのパターンになってしまうと感じます。

体幹トレーニングはあくまで例ですが、何かを学ぶと使いたくなったり、より深く学ぶとそれで多くのことが解決出来ると感じるかも知れません。「○○は深いんだ」というように。

何かを深めると、「得意なパターン」は出来るかも知れませんが、それ以外は「不得意なパターン」になります。「不得意なパターン」と考えればまだ良いですが、自分自身の能力を棚に上げて「非常に難しいパターン」という症例に分類することもあると思います。

「万能な手段はあるに越したことない」ですが、今のところそういったものはないですから、様々なものを適切な場面で適切に活用していくしかないように思います。手段ありきではなく。そのためには、知識も技術も考え方も大事だと考えています。

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