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#23 「○○は奥が深い」という話

「◯◯は奥が深いから、すぐに出来るものではない。」といったセリフを時々見聞きすることがあります。「筋トレは奥が深い」「徒手療法は奥が深い」「◯◯アプローチは奥が深い」などということは、確かに突き詰めていくことでそう感じることは多くあると思いますし、結果的には完全なものを手に入れることは出来ないかも知れません。

専門職として長く活用し学び続けてもなお、上手くいかないことや、分からないことがあるのは、思考停止せずに向き合ってきたからとも言えると思います。だからこそ、「◯◯は奥が深い」と感じるのかも知れません。特に結果を気にせず完全にルーチン化した作業をしているとしたら、そう感じることもないと思います。

「◯◯は奥が深い」というセリフ自体が正しいとも間違っているとも思っていませんが、このようなセリフを特に考えもせず受け入れるとしたら、思考停止に繋がることもあるように思います。

臨床においては、目標達成の為に適宜適切なアプローチを行うことになります。何か特定のアプローチを行うこと自体が目的とはならないでしょうし、特定のアプローチのみで結果を出すことを求められるといったケースは…あるかも知れませんが、ややこしくなるので触れないでおきます。

「◯◯は奥が深い」の◯◯に、例えば「臨床」とか「人間」といった言葉が入るのと、「筋トレ」とか「徒手療法」といった言葉が入るのでは、違ってくるように思います。後者はあくまでも、ある対象者の目標を達成する為に活用する手段のひとつです。

もちろん手段の質そのものを向上させる取り組みが、対象者の目標を達成することに繋がると考えると、それは有意義であり必要なことと言えると思いますが、「特定の手段を追求する」こと自体が目的になると、臨床と知らぬ間に解離していくこともあり得ると思います。

専門職というのは、抽象度の違いはあるにしろ、何かを追求するという意味では共通した資質があると思いますし、それが仕事であるという側面もあると思います。私自身は興味のあることが偏っている傾向がありますから、何らかの強制力を活用して、「あまり気は進まないけど、やるしかない」という状況を作ることはよくあります。

専門職である以上は程度の差はあれど、何かを追求することは自然なことだと思いますが、それが視野を狭めることになるかも知れないと思います。「ひとつのことを追求すること」を肯定するがあまり、色々なものや考え方に対しても、「中途半端に触れても仕方ない」とか、「私の専門ではない」と触れようとせず、新たな視点やアイデアを得たり、視野を広げるといった機会を奪うことになるかも知れません。

奥深さ故に、「入ったらなかなか出てこれない」といった状態を、「専門性が高い」というのかはわかりませんが、他職種とオーバーラップしている部分を知る、共通する原理原則を知るといったことも、自身の専門性を確認することに繋がると思います。それぞれが専門性を活かしたり、上手く連携するといったことは、視野が狭くては出来ません。

また、教える立場で、「◯◯は奥が深いから、すぐに出来るものではない。」と、自身の指導力のなさを肯定するセリフとして使うとしたら、教えられる立場としては複雑ですね。

どんなことでも、「奥が深い」のかも知れませんが、細かく分け過ぎてもなお、それぞれが「奥が深いから、すぐに出来るものではない」と言ってたら、きりがありません。専門性という言葉は肯定的に捉えられやすいですが、気づかない内に視野の狭いことを専門性と呼んでしまうこともあるように思います。私自身も陥りやすいので、気をつけます。

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