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#22 同じような経験があるからわかる?

同じような経験があるからわかる、共感出来るということはあるとは思いますが、必ずしも同じような経験があるからわかる、共感出来るというわけでもありません。同じような経験というのは、全く同じではないかも知れませんし、仮に同じ空間にいて同じ経験をしたとしても、感じ方が違うということは当然あるはずです。

「それ、わかります!」と言われて嬉しいこともあるかも知れませんし、「本当にこの人わかってるの?」と、疑いや不快感を感じることもあるかも知れません。「同じような経験があったとしても、そこから得たことや感じたことは違うかも知れない」と考えていないと、わかったつもりや勘違いになるかも知れません。

「共感が大切」というセリフをたまに聞きますが、本当に共感しているのかどうかはわかりませんし、共感していると勘違いしているならば、気づかない内に大きくすれ違うことになるかも知れません。

「同じような経験があるからわかる」という発想だと、「俺はそうだったから、相手もそうに違いない」と決めつけてしまうかも知れませんし、そうなると目の前の対象者を観ようとせずに、自分の頭の中で勝手に対象者を創り上げることに繋がるように思います。

「何故こんな簡単なことが出来ないんだ」というのも、基準が自分自身になっているからで、対象者にとってみれば簡単ではなかったり、そもそも出来るように導けていない指導者側の問題とも考えられます。

「自分が出来ないことは相手に教えられない」ということで、「まず自分自身が取り組むことが大事」というのは分かるように思いますが、その取り組みも、「同じような経験があるからわかる」になれば、対象者を観ていないことになります。

そもそも、「自分が出来ないことは相手に教えられない」というのは、絶対条件ではありません。例えば義足歩行を指導するといった時に、自らの義足歩行の経験がなければ指導出来ないのかと言えば、そうではありません。

相手がどう感じているか、どう捉えているかは、仮に確認しても指導者側の解釈に依存するという側面はあるにしても、「同じような経験があるからわかる」からと、確認もロクにしないで決めつけることは、指導を進めていく中で問題になってくると思います。

例えばスクワットを指導していて、自分自身の経験上も、運動学的な観点からも、明らかに狙い通り上手くいっているように観えるとして、「どうでしたか?」と確認したら、「ちょっと頭が痛かったです…」という回答があるかも知れません。自分自身が観ている部分では、上手くいっていると思っても、観ていない部分や観えない部分がどうかはわかりません。

自分自身が経験を積み重ねることで、視点が増えるということは当然あると思いますから、それ自体を否定する意味ではもちろんなく、確認作業も行わず「わかったつもり」になるのが、問題ではないかという話です。

専門知識を得ること、自分自身の経験を積み重ねること自体は、専門職にとってはポジティブな要素ではあるけれども、それが知らぬ間に視野を狭めるといったことにもなり得ると思います。「観ればわかる」は、超一流の証かも知れませんし、ただの勘違いかも知れません。確認して考えていた通りであっても、違っても、または違った視点による何かであっても、アプローチの精度を上げるという点において、有意義であることが多いと思います。

また、例え「観ればわかる」だとしても、対象者の立場からすれば、何も聴いてこない、確認してこないで進められることに不安や不満を感じるかも知れません。

確認と言えども、何かと何度も確認すれば良いというわけではなく、「何の為に確認するか」という意図があると思います。ケースバイケースと言えばそれまでですけど、「何でも確認すれば良い」ということを言いたいわけではないということは確認しておきます。

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