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#18 「この技術で全て良くなる」か?~徒手療法を例に~

前回触れたように、筋力トレーニングといっても、筋力のみが向上するわけではないですし、結果的に筋力が向上すればそれは全て「筋力トレーニング」と呼ぶかと言えば、それもややこしくなります。名称やカテゴリー分けは便宜的なものなので、ある程度の共通認識がある前提で使用されます。

別の例えで考えると、「関節」に対するある徒手療法があるとして、それは主に「関節」にアプローチするものと考えると、他の組織にアプローチするには別のアプローチが必要と考えることが自然かも知れません。しかしながら、関節を直接触れることは出来ませんから、直接的には表皮に触れることになりますし(衣服などのケースも当然ありますが)、そこからさらに深層の組織にも機械的ストレスを与えることになります。ですから、関節へのアプローチと言っても、それらの組織にも影響を与える可能性があります。

感覚を考えると、触覚や圧覚、深部感覚などの体性感覚、場合によっては視覚や聴覚といった特殊感覚も関係します(感覚情報は統合され、高次の情報に変換されていくなど、感覚の話をし出すと大変なので割愛します)。対象者にとってみれば、「誰に」「どのように」されるかということが情動に影響を与えるでしょうし、またその情動が他に影響を与える(例えば自律神経系。それがまた他に影響を与えるという…)ことになるかも知れません。ですから、「技術」と言いますが、その技術を使用する「人」、専門職と対象者の関係性という視点を抜きに考えることは出来ません。同じ技術を用いても結果が違うのはこれが原因ということもあるはずです。技術と技能の違いということになります。

このように考えていくと、ある部分や要素のみにアプローチすることは困難であると言えますし、そもそも全体として機能しているものを勝手に細かく分類しているわけなので、当然と言えばそうかも知れません。もちろん部分や要素に分けていくことで、発展していったことも多くありますから、良い悪いの話ではありません。全体として機能しているからこそ、それを利用して局所(的な機能)にアプローチすることで、全体を変えることも可能だと言えると思います。足底板やテープを使用したり、ファシリテーションテクニックを使用するなどして、歩容を変化させることがその例として挙げられると思います。注意の対象を変えたり、あるイメージを持つなども含めることも出来るかも知れません。

そのように全体として機能しているという観点から考えると、部分に対する影響は全体に波及することは自然であるとも言えます。ですから、関節へのアプローチと言えども、何かしら他への影響はあって当然だと思います。そこを強調して、「関節へのアプローチと言えども、全体へのアプローチである」と主張することも出来るとは思います。これが極端になると、「この技術で全て良くなる」になるのかも知れません。

しかし、大元の問題は関節ではないかも知れませんし、果たしてそれが第一選択なのかということは考える必要があると思います。「主に」関節、筋、皮膚などといった各組織別にアプローチ出来る方が、より多くのケースで効率的に効果的に対応出来るかも知れません。

特定のアプローチを主に活用している人と、特定のアプローチを盲信している人は別と考えるべきですが、後者の中にはそのアプローチが全てを包括していると考えている人もいるのかも知れません。特定のアプローチを妄信すると、「上手くいかないのは技術不足の問題だ」と、他に主たる原因があったとしても見えないかも知れません。

全体と部分の話を書きましたが、様々なアプローチも全体の一部分と考えれば、盲信することも拒絶することもなく、様々なアプローチに触れることで活かせることもたくさんあると思います。想像を遥かに超えた凄い変化を見せられたり、極端な態度の人にウンザリすると、盲信したり拒絶するのも仕方ないのかも知れませんが、結局はそれを用いる人の要素が大きいと考えています。

日々の臨床に対して真面目に取り組むことと、その中での気づきや疑問を持つこと、それを活かしたり解決しようと努めることが基本であり、特定のアプローチを行うこと、または行わないことが目的ではないと思います。結局は、設定した目標が達成出来るかどうかという結果が重要なので、色々な視点や観点で考える必要があると思います。どうしてもひとりで考えていると、視野が狭くなることがあるので、個人的には色々なものに触れていきたいと考えています。

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